第4話 謀反人?名君?謎多き戦国武将・明智光秀

明智光秀といえば、「本能寺の変」を一番初めに思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。天下統一を目前にした主君・織田信長を討った謀反人として語られることが多いのですが、一方では領民に慕われていた名君という評価も。

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主役としても注目の明智光秀。その人物像とは。

なお、光秀の出自や経歴には不明瞭な部分があります。本記事の内容にもその一説に過ぎない部分が含まれますことをあらかじめご了承ください。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主役・明智光秀

明智光秀が主役のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が2020年に放送されます。 光秀を演じるのは、俳優の長谷川博己さん。 前回の記事「時の天皇が命を救った知勇兼備の武将・細川幽斎とは」で紹介した細川幽斎も登場します。

明智光秀と細川幽斎・忠興・ガラシャとの関係

前回の記事で紹介しました通り、明智光秀と細川幽斎は“盟友”と呼ばれる深い関係にありました。そして、光秀の三女・玉(細川ガラシャ)は幽斎の子・忠興の正室。光秀から見ると忠興は娘婿、忠興から見ると光秀は義父にあたります。

光秀は「本能寺の変」で織田信長を討った後、姻戚関係にある幽斎・忠興父子に破格の条件で支援を要請します。それまでは光秀と深い関係にあった細川父子ですが、なんとその要請を拒否。光秀との袂を分かつため、忠興は妻・玉(ガラシャ)を丹後国の味土野(みどの)に幽閉します。

その後光秀は、本能寺の変で信長が討たれたことを知り、急遽中国地方から引き返してきた羽柴秀吉と対峙(山崎の戦い)。光秀軍は数に勝る秀吉軍に敗れてしまうのですが、これは細川父子に支援を断られたことも影響しているといわれています。

光秀にとって、細川幽斎・忠興・ガラシャの三者は、自らの運命を大きく左右した人物といえるでしょう。

「名君」としての評価

主君の織田信長を討ったことから「謀反人」「逆臣」といわれる明智光秀ですが、名君として功績が語り継がれている地域もあります。

まずは京都府福知山市。市内の小高い丘に建つ「福知山城(当時は福智山城)」は天正7年(1579年)頃に光秀が築いたものです。光秀は税金を軽減して治水工事を行い、この町を商都として栄えさせました。この地に伝わる「福知山音頭」の歌詞にある「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ」の一節は光秀を偲んだものです。

もうひとつは福知山市の南東にある亀岡市。かつて存在した亀山城は光秀が築城したものです。亀岡市では光秀を偲んで「亀岡光秀まつり」が毎年5月3日に行われています。

愛妻家・明智光秀

明智光秀は「愛妻家」であったとも伝えられています。正室は妻木煕子(つまき ひろこ)。細川ガラシャの母、そして小倉藩の第2代藩主・細川忠利の祖母にあたります。

煕子に対する光秀の愛情がよくわかる逸話があります。煕子は、光秀との結婚直前に疱瘡(ほうそう)にかかってしまい、左頬に痘痕(あばた)が残ってしまいます。父は輿入れ(こしいれ)の破談を避けるために、煕子に似ていた妹・芳子を身代わりに立てますが、これを簡単に見破った光秀は、煕子の痘痕を気にすることなく正室として迎えたといいます。

また、後年に俳人・松尾芭蕉によって詠まれた「月さびよ明智が妻の咄しせむ」という句には光秀夫妻の仲睦まじさが表れています。この句は、連歌会を催す資金がなく困っている光秀のために、煕子が自慢の黒髪を売ってお金を用立てたというエピソードを引用したものです。このことに感謝した光秀は、終生妻・煕子のことをいたわり続けたといいます。

四字熟語「三日天下」の由来

「三日天下」という四字熟語を一度は耳にしたことがあると思います。意味は、権力を握っている期間がきわめて短いこと。この「三日天下」、実は明智光秀が由来なんです。

本能寺の変で織田信長を討ち、一度は天下を取った光秀ですが、わずか13日後に山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れてしまいます。光秀が権力を握っていたのは実際には13日間ですが、権力を握った期間があまりにも短かったため、それを例えて「三日」になったとされています。

まとめ

「謀反人」としての印象の強い明智光秀ではありますが、近頃はその評価も変わってきているのではないでしょうか。少なくとも、本能寺の変以前の功績は否定されるものではないでしょう。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」でさらに評価が変わるかもしれません。
参考文献:「俊英明智光秀―才気迸る霹靂の智将」学研、2002年
文:成重 敏夫
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