第6話 小倉に縁のある武将たち、それぞれの“関ヶ原”

慶長5年(1600年)9月15日に美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で起こった「関ヶ原の戦い」。

徳川家康が率いる東軍と毛利輝元・石田三成らを中心に結成された西軍によるこの戦いは、東軍の圧勝。 約6時間でその勝敗が決まったといわれています。

小倉に縁のある数々の武将たちは、この「関ヶ原の戦い」をどのように立ち回ったのでしょうか。

毛利勝信・勝永と関ヶ原の戦い

前回の「小倉城主・毛利勝信と“真田より強い”毛利勝永父子の小倉とのかかわり」で紹介した毛利勝信・勝永父子は石田三成率いる西軍につきます。

子の勝永は、「関ヶ原の戦い」の前哨戦である「伏見城の戦い」へ参戦。

ここで武功を挙げた勝永は、西軍の総大将を務めていた毛利家(勝永の毛利家ではなく、毛利輝元の毛利家)より三千石が加増されました。

一方、豊前に残った父・勝信は黒田如水(官兵衛)の策略により小倉城を奪われてしまいます。

「関ヶ原の戦い」の後、勝信・勝永父子は改易され、肥後国(現在の熊本県)へと追放されます。

この後に小倉城に入ったのが細川家です。まず小倉城に居城したのは細川忠興の弟・細川興元(おきもと)。その後忠興が小倉城へ居城を移します。

細川幽斎・忠興・ガラシャと関ヶ原の戦い

細川幽斎・忠興父子は徳川家康が率いる東軍より参戦。忠興の妻・ガラシャを含めた三人は、東軍の勝利に強い影響を与えました。

細川忠興と関ヶ原の戦い

元々、忠興は織田信長の家臣として活躍していたこと、そして信長の勧めにより明智光秀の三女・玉(細川ガラシャ)と結婚したことなどから、織田家にかなり近い人物でした。

信長の死後は豊臣秀吉に仕え、多くの戦功を挙げます。しかし、秀吉の死後に秀吉の側近であった石田三成と対立。徳川家康からの誘いもあり、東軍からの参戦となりました。

「関ヶ原の戦い」本戦では、黒田長政らと共に石田三成の本隊と戦闘。首級を136上げたといわれています。その功績で豊前一国、豊後の二郡(国東郡、速見郡)の30万石が与えられました。

当初、中津城に入城した忠興は慶長7年(1602年)に小倉城に藩庁を移し、小倉藩初代藩主となりました。

細川幽斎と関ヶ原の戦い

一方、忠興の父・細川幽斎も「関ヶ原の戦い」の勝敗に大きな影響を与えた一人です。

「関ヶ原の戦い」本戦の少し前に起こった「田辺城の戦い」において、幽斎は田辺城に籠城します。

田辺城を攻める西軍の軍勢は15,000。それに対して田辺城を守る細川軍の軍勢はわずか500人。西軍の勝利は揺るがないものと思われました。

ここで、「古今伝授」(古今和歌集の読み方や解釈を秘伝として師から弟子に伝えるもの)を相伝されていた幽斎の死亡を恐れた朝廷は、田辺城の両軍に勅使を派遣。講和を命じました。

幽斎は勅命に従い田辺城を開城。西軍が勝利します。 しかし、幽斎は結果としてこの地に西軍の15,000もの軍勢を足止め。「関ヶ原の戦い」本戦への参加を不能としました。

細川ガラシャと関ヶ原の戦い

しかし、忠興の妻である細川ガラシャは「関ヶ原の戦い」で命を落としてしまいます。

忠興が徳川家康に従って上杉征伐に出陣したところを狙われ、石田三成により人質となることを要求されたガラシャはそれを拒否。死を選びます。

キリシタンであるため自害が許されないガラシャを家老・小笠原少斎が介錯。ガラシャは38年の生涯を閉じました。

ガラシャの死により西軍が作戦変更を余儀なくされたこと、そして東軍の武将たち、特に夫である忠興の怒りを買ったことが、西軍敗北の一因であるともいわれています。

小笠原家と関ヶ原の戦い

200年以上にわたり小倉城の城主を勤めた小笠原氏からも、「関ヶ原の戦い」に参戦しています。参戦したのは小笠原秀政。小倉藩の藩主をつとめた小笠原忠真の父にあたる武将です。

徳川家康率いる東軍についた秀政は、宇都宮城の守備で功績を挙げ、翌慶長6年(1601年)に、徳川家康により信濃国飯田5万石に加増移封されました。その後、慶長18年(1613年)に信濃国松本8万石を得ます。

しかし、秀政は慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にて長男の小笠原忠脩(ただなが)とともに戦死。ここで次男の小笠原忠真が跡を継ぎます。

それから17年後の寛永9年(1632年)、忠真は肥後に移された細川家に代わって小倉藩の藩主となります。

まとめ

小倉に縁のある武将たちの「それぞれの関ヶ原」を紹介しました。

「関ヶ原の戦い」に敗れた西軍に属していたことで小倉を離れた毛利勝信・勝永父子。そして「関ヶ原の戦い」の功績により小倉の地へ足を踏み入れた細川幽斎・忠興父子。

天下分け目の合戦と呼ばれる「関ヶ原の戦い」は、ここ小倉にも大きな影響を与えています。
参考文献
今福匡「真田より活躍した男 毛利勝永」宮帯出版社 2016年
松井康秀「細川忠興と小倉」1976年
米原正義「細川幽斎・忠興のすべて」新人物往来社 2000年

文:成重 敏夫
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