第7話 剣豪・宮本武蔵と小倉との深いつながり

江戸時代初期の剣術家・宮本武蔵といえば、日本史上最も有名な剣豪として知られており、「巌流島」「五輪書」など、さまざまなキーワードが思い浮かびます。

また、吉川英治の小説「宮本武蔵」やそれを原作にした井上雄彦の漫画「バガボンド」も有名です。

武蔵は小倉とも縁が深く、小倉のさまざまな場所にその証が残っています。

今回の「小倉城ものがたり」は、宮本武蔵と小倉との深いつながりを紹介いたします。

宮本武蔵と小倉

全国に「宮本武蔵ゆかりの地」と呼ばれる地域はいくつもあります。

武蔵の生誕地とされる岡山県美作(みまさか)市、晩年を過ごした熊本市をはじめ、名古屋市や京都市などが武蔵と縁の深い場所として紹介されます。

その中で、武蔵が最も長く滞在したのが小倉であったことはご存知でしょうか。滞在期間は、細川・小笠原両藩の時代を通して7年に及ぶといわれています。

小倉北区赤坂の手向山公園(たむけやまこうえん)には、武蔵の養子であった宮本伊織が建てた顕彰碑があります。その高さはなんと約4.5メートル。見上げるほどの高さです。

そこに記された「小倉碑文(こくらひぶん)」には武蔵の剣歴や功績などが記されており、武蔵の逸話・伝承の基となっています。

ちなみに、この手向山公園には武蔵と巌流島で戦った佐々木小次郎の碑も建てられています。
毎年4月には、この手向山公園一帯で「武蔵・小次郎まつり」が開催されています。
ここでは武道の演武や剣道の試合が行われており、令和元年の開催で69回目となりました。

また、2019年3月の小倉城リニューアルの際に、天守閣前の広場には武蔵と小次郎のモニュメントが設置されました。
また付近には、武蔵ゆかりの石碑「誠心直道之碑」が建てられています。
天守閣3階は武蔵と小次郎の展示フロアとなっており、小次郎になりきって武蔵の人形と対決できるフォトスポットが人気です。
それではここからは、宮本武蔵の「剣術家」「兵法家」「芸術家」の3つの顔を紹介していきましょう。

剣術家・宮本武蔵と巌流島

宮本武蔵の名を聞いて、多くの方がまず思い浮かべるのは佐々木小次郎との「巌流島の戦い」ではないでしょうか。

現在は山口県下関市に属する巌流島(正式名称:船島)ですが、武蔵と小次郎が決闘を行った当時は豊前小倉藩領でした。このことからも、小倉にとって武蔵が非常に縁が深いことが分かります。

ちなみに、この島が「巌流島」と呼ばれるのは小次郎が「巌流(岩流)」を名乗っていたからだといわれています。

この巌流島にも武蔵と小次郎の銅像が建てられています。巌流島へは門司港から連絡船で約10分。小倉からも気軽に行ける距離です。

兵法家・宮本武蔵と五輪書

宮本武蔵の代表的な著作は「五輪書(ごりんのしょ)」。「地」「水」「火」「風」「空」の5巻で構成されている、剣術の奥義などをまとめた兵法書です。

書名は密教の「五輪」に由来していますが、武蔵が付けた書名ではなく、後年になって付けられたものとされています。

この「五輪書」は寛永17年(1640年)に小倉から熊本に移った武蔵が、その後の寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞(れいがんどう)で執筆したものといわれています。

芸術家・宮本武蔵と芸術作品

「剣術家」「兵法家」に比べますと、「芸術家」の宮本武蔵はイメージしにくいかもしれません。

しかし武蔵は芸術作品も多く残しており、国の重要文化財に指定されている「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」「鵜図(うず)」「紅梅鳩図(こうばいはとず)」をはじめ、多くの工芸品が全国の美術館に所蔵されています。

不定期で展示されることもありますので、実際に武蔵の作品を見ることも可能です。

まとめ

小倉の地と縁の深い宮本武蔵。
宮本武蔵と佐々木小次郎を偲んで行われている「武蔵・小次郎まつり」が70回近く開催されていることからも、その縁の深さを知ることができます。

もしかしたら、宮本武蔵は我々の知らないところでも小倉の地にさまざまなものを残しているかもしれませんね。
参考文献:
大倉 隆二(訳)「決定版 五輪書現代語訳」草思社 2012年
魚住 孝至「宮本武蔵―「兵法の道」を生きる」岩波書店 2008年
魚住 孝至「宮本武蔵―日本人の道」ぺりかん社 2002年

文:成重 敏夫