第24話 小倉生まれの書家・下枝董村が愛用したかずら筆

慶応2年(1866年)の「小倉戦争」において敗色濃厚となった小倉藩が、自ら小倉城に火を放って退却した、という話はこの「小倉城ものがたり」で何度か紹介いたしました。

小倉の地を離れた小倉藩は香春(現田川郡香春町)に拠点を移して香春藩に、その後豊津(現京都郡みやこ町)へ藩庁を移転し豊津藩となります。

このような経緯もあり、現在もみやこ町と小倉藩、小倉城とは非常に縁が深いといえるでしょう。

みやこ町の芸術的民芸品に「かずら筆」と呼ばれる筆があります。

かずらと呼ばれるつる草の一種を用いて作られたこの筆は、全国の書家の間でも高い人気を誇るそうです。

そしてこのたび、このかずら筆で揮毫された小倉城の御城印が数量限定で登場することになりました。

かずら筆とはいったいどのような筆なのでしょうか。

かずら筆とは

かずら筆は、幕末から明治時代にかけて活躍した書家・下枝董村(しもえだとうそん)が愛用していたといわれています。

大きな特徴は、毛先が固くどんな字でもかすれてしまうこと。

かずら筆で描かれた文字は自然の力強さを伝える筆として、他の筆にはない芸術性を持つとの評価もあります。

今から約30年前の平成元年(1989年)にみやこ町の木井馬場柿ノ木原の古老の方々により再興され、それ以来みやこ町の芸術的民芸品として人々に親しまれています。

かずら筆を愛用した小倉藩藩士・下枝董村

それでは、かずら筆を愛用していた下枝董村とはいったいどのような人物なのでしょうか。

董村は文化4年(1807年)に企救郡合馬村(現在の北九州市小倉南区合馬)で生まれました。

小倉藩の藩士であり、第10代小倉小笠原藩藩主・小笠原忠忱の幼少時には書道師範も務めた人物です。

「小倉戦争」で小倉城が焼失し香春まで撤退した際には、豊前国仲津郡木井馬場村(現在のみやこ町犀川木井馬場)に居を構え、以降そこに住む村人たちとの交流を深めたといわれています。

自然を愛する董村は、自生しているかずらを持ち帰って木槌で叩き、手で丁寧にほぐして筆にして使っていたそうです。

明治2年(1869年)から木井谷にて過ごした董村は、明治18年(1885年)に79歳で死去するまで数多くの作品をこの地で生み出しました。

残された逸話などにより、村人達からは現人神(あらひとがみ)とあがめられていたそうです。

董村の作品に現存のものはほとんどないといわれていますが、みやこ町にある木井神社、黒田神社、八景山磐根社などの鳥居には石文として董村の書が残されています。

董村の書を広く集める書家・棚田看山さんは「やわらかい筆でやわらかい字は書けるが、かたい筆でやわらかい字を書くことこそが書の極意」といい、「董村の書は日本一と言っていいくらい凄い字」と評価しています。

小倉城内で見られる董村の文字

実は小倉城内に、董村の文字を見ることができる場所があります。

小倉城庭園前に建てられている筆塚の石碑にある「筆塚」の文字は、下枝董村の筆跡から「筆」「塚」を選んで刻まれたものです。

ちなみにこの筆塚は昭和40年(1965年)に文化の振興を祈念して小倉城筆塚建立委員会により建てられたもので、毎年10月に、使えなくなった筆を献じて筆供養を行っています。

かずら筆による御城印が登場

そして令和2年(2020年)9月16日から10月22日までの間、小倉城天守閣1階の企画展示コーナーにて『かずら筆の書家・下枝董村 展』と銘打ち、下枝董村の貴重な書が展示されます。

これを記念してかずら筆の第一人者として活躍されている書家・棚田看山さんの揮毫による『かずら筆特別御城印』を1000枚限定で販売。

かずら筆で描かれた文字の躍動感を感じられるよう、「小倉城」の3文字以外は省かれています。

董村が愛用したというかずら筆による御城印を、ぜひお楽しみください。

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参考文献:財団法人 北九州市芸術文化振興財団ホームページ/みやこ町ホームページ
文:成重 敏夫