第37話 「三本の矢」で知られる毛利元就と小倉城との関係

歴史にさほど興味のない方でも、毛利元就(もうりもとなり)という戦国武将の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。

息子たちに遺したという「三本の矢」の逸話もよく知られています。

意外に思う方もいるかもしれませんが、毛利元就は小倉城の歴史を語る際には絶対に外せない人物なんです。

毛利元就とは

毛利元就は、明応6年(1497年)に安芸国(現在の広島県)にて毛利弘元の次男として生まれます。このときの毛利氏は、安芸の国人領主のひとりにすぎませんでした。

永正13年(1516年)、元就の兄・興元が急死します。その後家督を継いだ興元の長男・幸松丸も大永3年(1523年)に死去。27歳の元就が家督を継ぐこととなりました。

このとき、主君である尼子経久が家督相続に介入しようとしたことで、大永5年(1525年)に元就は大内氏へと鞍替え。尼子氏との関係を絶ちました。

元就は天文15年(1546年)に50歳で隠居し、長男の毛利隆元が毛利家の当主となります。しかし、毛利家の実権は変わらず元就が握っていました。

隠居する2年前の天文13年(1544年)、同じく安芸の国人領主である竹原小早川家の養子に三男・隆景を出します。同年、隆景は12歳で竹原小早川家の当主となります。

天文16年(1547年)には元就の妻・妙玖の実家である吉川家へ次男・元春を養子に出します。3年後の天文19年(1550年)に、元春は吉川家の当主に。

毛利家は小早川家、吉川家を取り込み、徐々にその存在感を増してきていました。

その後も元就は勢力を拡大します。

先述の通り、元就の家督相続をきっかけに、毛利氏は長い間大内氏の傘下となっていました。

しかし、天文24年(1555年)の厳島の戦いで、元就は大内家の実権を握っていた陶晴賢を撃破。のちに大内氏は滅亡します。その後永禄9年(1566年)に尼子氏も滅亡させ、毛利家は一代にして中国地方8カ国を支配する大名になりました。

しかしこのとき元就は既に70歳。体調を崩すことも少なくなかったようです。

その後何度か大病を患った元就は、元亀2年(1571年)に死去。73年の生涯を閉じました。

有名な「三本の矢」の故事

毛利元就にまつわる有名な故事「三本の矢」の話は、ご存じの方も多いことでしょう。

元就は死ぬ間際に、三人の息子(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)を呼び寄せます。

それぞれに矢を一本ずつ渡して折らせたところ、矢は簡単に折れました。

次に元就は三本を束にした矢を渡し、折るように命じます。すると今度は誰も矢を折ることができませんでした。

「一本ではもろく折れてしまう矢も、三本になると丈夫になる。毛利家も三兄弟が結束すれば他国に負けることはない」と諭したといいます。

ただ、有名なこの故事も事実とは異なるようです。

長男の隆元が亡くなったのは、永禄6年(1563年)で、父・元就が亡くなったのは前述の通り元亀2年(1571年)。

隆元のほうが先に亡くなっているため、元就が死ぬ間際に三兄弟に話をすることは不可能です。

元就は、弘治3年(1557年)に書いた書状「三子教訓状」で三人の息子たちに対し、一致協力して毛利家を末永く盛り立てていくように諭しています。この話を元に「三本の矢」の物語が創作されたのだろうといわれています。

毛利元就と小倉城との関係

実は、小倉城を最初に作ったのが元就であるといわれています。

中国一の戦国大名となった元就は、九州を攻略するためにまず門司城を押さえ、次に筑前博多を狙います。
これを実現するためには、豊前国の攻略が欠かせませんでした。

そのため、永禄12年(1569年)に小倉に初めての城が建てられたといいます。

宗像大社辺津宮の置札には、元就が九州を攻撃する足掛かりとして「平城」を小倉に築いたことが記されています。

この平城は、漂着した舟の舟板などを使って築いた急ごしらえのもので、本丸や天守は存在しなかったそうです。

毛利家の次の城主・高橋鑑種とは

しかし、この小倉城を元就が支配していた期間はごくわずかでした。

元就が安芸国から九州に侵攻していた間、敵対する大友義鎮らに後方を攻められてしまい、元就は九州からの撤退を余儀なくされてしまいます。これが永禄12年(1569年)10月のことでした。

(大内輝弘の乱)大内輝弘の乱はすぐに鎮圧したものの、毛利軍は門司城を残し九州から撤退。二度と九州に戻ってくることがありませんでした。

毛利軍が九州を去った後に小倉城主となったのが、高橋鑑種(あきたね)という人物です。

鑑種がどんな人物であったのか、次回の小倉城ものがたりで紹介したいと思います。

参考文献:北九州市立自然史歴史博物館「小倉城と城下町」海鳥社、2020年/小野剛史 「小倉藩の逆襲」花乱社、2019年
文:成重 敏夫

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