第45話 全国でも有数の広さを誇る小倉城の天守

前回の「小倉城ものがたり」ではお城の天守の分類を解説しました。

天守には現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守の4種類があること、小倉城はそのうち「復興天守」に属することを紹介しました。

では、築城当時の小倉城は、どのような天守が建てられていたのでしょうか。

小倉城の天守

小倉城の天守は「復興天守」に分類されます。

復興天守とは、かつて天守が建てられいた場所に建てられた天守のことをいいます。但し、史料の不足などにより、当時の外観を正確に復元していません。

初代小倉藩藩主の細川忠興が建てた天守は、4重5階の層塔型天守(一階から最上階まで四角い箱を順番に積み上げていくような形)です。最上階を除いて、破風と呼ばれる装飾のない簡素な外観が特徴でした。

小笠原小倉藩第6代藩主・小笠原忠固(ただかた)が藩を治めていた天保8年(1837年)、小倉城の天守は不審火により御殿とともに焼失してしまいます。

しかしこのとき、小倉藩は極度の財政難で、天守は再建されずに放置されていました。

約30年後の慶応2年(1866年)に起こった小倉戦争で小倉城が自焼したときにも、天守は存在していませんでした。

昭和34年(1959年)に、ようやく天守が復興されますが、その際、築城当時には存在しなかった千鳥破風(屋根の斜面に設けた小さな三角形の破風)や唐破風(頭部に丸みをつけて造形した破風)などの破風が付けられました。

小倉城の天守の規模

では小倉城はどのくらい大きかったか、他の城と比較してみましょう。

まずは1階の床面積の広さで比較してみます。

床面積が最も大きいのは1638年に築城された江戸城です。

イメージしやすくするために、全てメートル(1間=1.8メートルで計算)で表記します。

江戸城の床面積は、32.4メートル×28.8メートルで約933平方メートル。だいたい、中学校の体育館2個分のサイズです。

次いで約826平方メートルの名古屋城、徳川大坂城と続きます。

そして4位が小倉城、27.9メートル×24.3メートルで約678平方メートルです。

ただし、層塔型の天守に限定すれば、小倉城の床面積は1位となります。

次に、天守の高さを比較してみましょう。

こちらも1位は江戸城。高さ44.8メートルです。広さと高さを兼ね備えた巨大な城であったことがわかります。

2位は44メートルの徳川大坂城。3位は38メートルの佐賀城、その後は36.1メートルの名古屋城と続きます。

小倉城は高さ23メートルで13位ですが、現在の小倉城の天守の高さは28.7メートルで、現在存在している天守の中では6番目の大きさです。

床面積×高さで求められる容積は、江戸城、徳川大坂城、名古屋城、佐賀城に次いで5位ですが、今も存在している天守に限ると3番目の容積となります。

さいごに

1600年代、小倉城の天守の面積は、江戸城、徳川大坂城、名古屋城に次ぐ第4位でした。

以前の「小倉城ものがたり」で紹介した通り、小倉城の総構え(城や城下町一帯の外周を堀や石垣で囲い込んだ構造)の周囲の長さは大坂城と同じくらいの8kmですので、天守も敷地も名だたる名城に引けを取らない大きさを誇っていたことがわかります。

文:成重 敏夫

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