第60話  北九州市の“平和の象徴”勝山公園

北九州市民の憩いの場・勝山公園。

緑も多く、休日には多くの親子連れでにぎわっています。

しかし戦前はこの一帯で兵器などが作られており、現在とは全く性格の異なる地域でした。

今回の「小倉城ものがたり」は勝山公園の歴史を紹介します。

勝山公園の歴史

勝山公園といえば、「大きな芝生のある公園」という印象をお持ちの方が多いと思いますが、実際にはもっと広いエリアを指します。

北は八坂神社のあたりから、南は北九州ソレイユホール(旧九州厚生年金会館)までが「勝山公園」です。小倉城や小倉城庭園、松本清張記念館、北九州市役所、中央図書館も勝山公園の敷地内となります。

戦前、この地域には兵器工廠(軍需品を開発・製造する施設)が置かれていました。そのため、昭和20年(1945年)のアメリカ軍による原爆投下の候補地には小倉が含まれていました。

8月9日、原爆は第1目標の小倉市(当時)ではなく長崎市に投下されたのですが、このような歴史的な経緯により勝山公園内には「長崎の鐘」(1973年に長崎市より贈呈)が設置され、毎年8月9日に北九州市民による慰霊祭が行われています。

北九州市は戦争の悲惨さと平和の大切さを後世に伝えるため、中央図書館北側駐車場内に「平和のまちミュージアム」を令和4年(2022年)4月19日にオープンします。

戦後も、この区域は長らくアメリカ軍に接収されていましたが、昭和34年(1959年)1月に返還されました。

江戸時代以降、小倉城には一般の人々の立ち入りが許可されていませんでしたが、返還されてからは市民の憩いの場として整備されていきます。

近代~現在の勝山公園

昭和35年(1960年)、小倉市制60年を記念して旧小倉陸軍造兵廠敷地で「伸びゆく北九州 小倉大博覧会」を開催。64日間で115万人の来場者と大盛況でした。

これに合わせて小倉城の天守閣を再建。小倉市の象徴と位置づけられました。

ほぼ同時期に小倉市民会館も建設されます。

小倉市民会館は長らくコンサート会場、市民による発表会や学校行事に使われていましたが、平成15年(2003年)に閉館。その後大芝生広場として整備されました。

このとき、紫川に面して水上ステージも整備されました。

昭和50年(1975年)4月には、小倉北区城内に中央図書館が、平成10年(1998年)には小倉城庭園と松本清張記念館が開館します。

また、平成18年(2006年)には中央図書館に北九州市立文学館が併設されるなど、時代に合った形で勝山公園の整備が進んでいます。

現在、勝山公園は北九州市民にとって非常に身近な公園となっており、大芝生広場では市民により各種イベントが開催されています。

また「小倉城歴史の道」は毎年1月に行われている選抜女子駅伝北九州大会のスタートおよびゴール地点になっており、7月には小倉祇園太鼓の競演会が行われています。

さいごに

さまざまな歴史を持つ、緑の美しい勝山公園。

市民の憩いの場所として愛されているこの公園は、北九州市の“平和の象徴”ともいえるかもしれませんね。

参考文献:北九州市立自然史歴史博物館「小倉城と城下町」海鳥社、2020年

文:成重 敏夫