第19話 小倉城近くに住んでいた「乃木大将」

歴史好きな方でしたら、「乃木大将」などと呼ばれる乃木希典(のぎまれすけ)という人物のことはよくご存知だと思います。西南戦争や日露戦争を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

実はこの乃木希典は小倉に縁が深く、小倉城の近くに住んでいたこともあるそうです。

今回の「小倉城ものがたり」はこの乃木希典という人物を、小倉とのかかわりを中心に紹介いたします。

乃木希典の生い立ち

乃木希典は嘉永2年(1849年)に江戸の長府藩上屋敷で生まれました。この場所は現在、六本木ヒルズ内毛利庭園となっており、庭園内には「乃木大將生誕之地」碑が建てられています。

その後安政5年12月(1859年1月)に長府(現・山口県下関市)に転居。

16歳のときに学者となることを志し父と対立。出奔して萩(現・山口県萩市)に向かいます。そして元治元年(1864年)10月から、日本三大学府の一つと称された萩藩の藩校・明倫館に通学を開始。

この明倫館の出身者には桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、吉田松陰らがいます。

乃木希典、小倉戦争に参戦

乃木希典と小倉との最初のかかわりは前々回、前回の「小倉城ものがたり」で紹介した小倉戦争です。

乃木は長州藩軍の一員として第二次長州征討に参加。奇兵隊の山縣有朋の指揮下で戦い、小倉城一番乗りの武功を挙げたとされています。

再び小倉にかかわる乃木希典

その9年後、乃木希典は小倉の地に再び足を踏み入れることになります。

明治8年(1875年)12月、乃木は熊本鎮台歩兵第十四連隊長心得に任じられ、小倉に赴任します。

このときの乃木の住居は現在のリバーウォーク北九州そば。つまり小倉城のすぐそばに住んでいたということになります。この場所には現在、「乃木希典居住宅の趾」と書かれた碑が建てられています。

その後明治10年(1877年)2月、西南戦争へ従軍。乃木は小倉を出て熊本へ向かいます。

西南戦争とは明治10年(1877年)に起こった士族による武力反乱のこと。西郷隆盛を盟主に、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県で起こりました。

乃木希典が率いる歩兵第十四連隊は熊本県植木町付近で薩摩軍と激突。兵力に劣る中善戦していましたが、撤退することに。このとき、あろうことか明治天皇から下賜された連隊旗を奪われてしまいます。

戦争の終結後、責任を感じた乃木は現場総指揮官を務めた山縣有朋に処分を求めますが、勝利の立役者ということもあり不問に付されることに。

しかし、この「連隊旗喪失事件」は乃木のその後の人生に大きく影響します。

乃木希典の最期

西南戦争後の乃木希典は放蕩生活を経てドイツへ留学。ここで、後に小倉に赴任する軍医の森鴎外と出会います。親しくなったふたりは、その後も交流を続けたとのこと。鴎外にとって、乃木との出会いは人生を変える大きな出来事となったようです。

帰国後の乃木は、日清戦争、日露戦争へ出征。

日露戦争では第三軍の司令官として、日本の勝利に大いに貢献します。「日露戦争を代表する将軍」との評価も。

明治天皇の信頼も厚かった乃木は明治40年(1907年)に学習院院長に就任。裕仁親王(のちの昭和天皇)の教育係を務めます。

しかし明治45年(1912年)7月に明治天皇が崩御します。

乃木は大喪の礼が行われた大正元年(1912年)9月13日に妻とともに自刃。遺書には、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であると記されていました。

乃木の死後、森鴎外は短編小説「興津弥五右衛門の遺書」を執筆。鴎外はこれを機に歴史小説家に転じたとされています。鴎外の話は、改めてこの「小倉城ものがたり」で。

全国に乃木神社が建立される

乃木希典の死後、東京都港区、京都市伏見区、栃木県那須塩原市、山口県下関市などに乃木を祀った神社「乃木神社」が建立されます。

山口県下関市長府、乃木神社にある乃木希典夫妻の銅像

また、東京の乃木神社前を西に向かう坂が「乃木坂」と改称されました。

乃木希典に関連する石碑など

ここまで紹介した通り、乃木希典は小倉にも縁が深く、関連する石碑なども建てられています。

まずは先ほど紹介した、リバーウォーク北九州近くの「乃木希典居住宅の趾」の碑。これは、乃木が明治8年(1875年)12月から明治10年(1877年)2月まで居住した跡を示すものです。

天守閣前広場には、旧歩兵第十四連隊の碑が建てられています。

また、小倉高校(小倉北区愛宕)の西側には乃木門と呼ばれる門があります。これは、乃木が西南戦争に従軍した際に率いた歩兵第十四連隊の営門(軍隊の居住している兵舎の通用門)を譲り受け、これを学校の裏門として建設したものだそうです。

まとめ

「敵地としての小倉」そして「居住地としての小倉」。

乃木希典と小倉との縁は期間こそ短いものの、かなり濃いものであったのではないでしょうか。

小倉城近くにある乃木希典にちなんだ2ヶ所の石碑、ぜひご覧になってみてください。

参考文献:岡田幹彦 「乃木希典 高貴なる明治」展転社、2001年
文:成重 敏夫